学校給食と牛乳

◆いわゆる団魂の世代(1947年〜49年生まれ)が小学校の頃に食べていた献立の一例。食器はアルマイト製のカップとレンゲが主流、一部では先割れスプーンも使われていた。今では貴重品の鯨肉も、当時は安価なたんぱく源としてたびたび登場。現行の学校給食法が公布されたのもこの年。
◆1食あたりの単価/約20円 ◆エネルギー/約600kcal
◆献立/コッペパン・脱脂粉乳・鯨肉の竜田揚げ・せんキャベツ・ジャム

時代に翻弄された歴史
 1889(明治22年)年、山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、貧困児童を対象に昼食を与えたのが日本の学校給食の始まりといわれています。 しかし本格的な学校給食は、戦後になってからのことです。
 1949(昭和24)年には戦後の食料難にあえぐ日本にユニセフからミルク(脱脂粉乳)が寄贈され、その翌年にはアメリカから大量の小麦粉が 寄贈されました。これにより、パンを主食とした完全給食の素地が出来上がりました。
 当時の学校給食は世論の絶大な支持を得ていたようで、1947(昭和22)年時点でわずか23%だった実施率は、その後4年ほどで69%に達す るなど、急速な広がりを見せます。
 しかし1951(昭和26)年、アメリカからの寄贈小麦粉が打ち切られると、財源を失った学校給食は再び中断します。
 その後、学校給食への理解の深まりや保護者などからの強い要望を受けて、1954(昭和29)年に「学校給食法」が制定。時代に翻弄され続け てきた日本の学校給食は、ここに第2のスタートを切ります。


学校給食の移り変わり 出来事
1889年(明治22年)
●おにぎり ●塩鮭 ●菜の漬け物
◆東海道線
(新橋〜神戸間)
全通(1889)
1942年(昭和17年)
●すいとんのみそ汁
◆太平洋戦争始まる
(1941)
1947年(昭和22年)
●脱脂粉乳 ●トマトシチュー
◆食品衛生法制定
(1947)
1965年(昭和40年)
●ソフトめんのカレーあんかけ ●牛乳 ●チーズ
●白菜甘酢あえ ●黄桃の缶詰
◆家庭用電子レンジ発売
(1965)
1976年(昭和51年)
●カレーライス ●牛乳
●キャベツの塩もみ ●バナナ ●スープ
◆「およげ!たいやきくん」
大ヒット(1976)
1981年(昭和56年)
●パン ●牛乳 ●イワシのチーズ焼き
●うずら豆入り野菜スープ ●レタス ●みかん
◆缶入りウーロン茶が登場(1981)
1989年(平成元年)
●バイキング形式
おにぎり、小型パン/鶏の香草焼き、ゆで卵、エビの唐揚げ/にんじんのグラッセ、ほうれん草のピーナッツ和え/粉ふきいも、さつまいもの唐揚げ/メロン、パイナップル、ゼリー/牛乳
◆消費税スタート
(1989)
※出典●独立行政法人日本スポーツ振興センター / 年代別献立資料より


学校給食いまむかし-2004年
バラエティ豊かなバランスランチ
◆現在の小学生たちの献立。1976年以降に実施導入された米飯給食により、和洋はもとより中華やイタリアン、エスニックまで多彩なレパートリーが実現、デザート類も定番化した。95年前後からは食器類の見直しも図られ、献立によって箸やフォーク、スプーンを使い分けるようになる。
◆1食あたりの単価/約210円
◆エネルギー/約640kcal
◆献立/ツイストパン・牛乳・魚のフリッター・ペンネソテー・3色ベジタブルソテー・青葉のスープ


スタイルにこだわらない給食
 1976(昭和51)年からは米飯給食が開始され、今なお人気献立の筆頭に挙げられるカレーライスも登場します。このあたりから献立も一気に拡大しビビンバやリゾット、パスタなど、国際色豊かなメニューが各地で実施されます。
同時に、食器も従来のアルマイト製からポリプロピレン食器へと移行。かつて「犬食い」を助長すると揶揄された先割れスプーンも徐々に見直しが図られ、献立に応じて箸やスプーンなどを使い分けるようになりました。
80年代後半から90年代にかけては、ランチルームを利用したバイキング給食や別学年との交流食など、教室で一斉に同じものを食べるという従来のスタイルにこだわらない試みが目立つようになります。
 そして21世紀、もはや栄養の摂取や改善といったことは第一義として語られず、食を通じた交流や地域への理解といったソフト面が重用しされるようになりました。
 ここ数年は、生徒がお弁当か給食かを定期的に選択できる「選択給食制」など、給食と家庭の味がお互いに補完し合うものとして認識され始めています。
多様化していく学校給食-思い出の味を話題に盛り上がることは、次第に難しくなっていくのかもしれません。


牛乳の変遷(かたちを変えつつ、いつの時代も学校給食の定番。)
脱脂粉乳(ミルク)
1849(昭和24)年、ユニセフからの寄贈で学校給食の定番&伝説メニューに。アルミ製の大きなバケツで教室に運ばれ、しゃくしで1杯ずつアルミカップに注がれていました。
委託乳(脱脂粉乳と牛乳の混合乳)
1964(昭和39)年から約2年間、脱脂粉乳から牛乳への移行期にかけて導入されました。ちなっみに昭和39年の混合比率は牛乳3:粉乳7,翌年は牛乳と粉乳が5:5でした。
びん牛乳(180ml→200ml)
1969年前後より導入されました。中身が牛乳(生乳)になったのは1970(昭和45)年頃。ふたを開けるのにちょっとコツがいるのと、給食当番でケースを運びのが大変でした。
テトラ・クラシック(200ml)
1964(昭和39)年の東京オリンピックで採用され、70年代以降教則に広まりました。ただその形状から積み上げることが難しく、徐々に四角いタイプに取って代わられました。
ブリックパック・ゲーブルトップ(いずれも200ml)
1980年代以降に普及し始め、現在でも使用されているお馴染みの四角いパックです。軽く保管性に優れ、運搬しやすいパックです。パック上部が屋根型のゲーブルトップも健在です。
※変遷は必ずしも上記のとおりとは限りません。

(※j-milk magazineほわいと2004夏号より)